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区のおしらせ 中央
平成24年11月21日号

区内文化財

板絵着色お千世の図額附目録

区民有形文化財 歴史資料八重洲一丁目2番5号日本橋西河岸地蔵寺教会
日本橋から一石橋にかけての南側には、江戸時代から昭和初期まで西河岸町(現在の八重洲一丁目2番および日本橋一丁目2番の一部)という東西に細長い町がありました。享保3年(1718)、この西河岸町の中ほどに堂宇を建立し、天台宗の僧天海の持仏(守り本尊として身近に置いて信仰する仏像)と伝わる地蔵菩薩を安置したのが日本橋西河岸地蔵寺教会の始まりです。本尊の地蔵菩薩は、日を限って至心に祈願すると霊験あらたかであることから“日限地蔵”と称され、寿命を延ばし、福利を授ける延命の祈願寺として古くから信仰を集めてきました。
さて、今回の文化財は、昭和初期に当寺へ奉納された「お千世の図額」について紹介します。この図額は、日本橋区本銀町生まれの新派俳優・花柳章太郎(1894から1965)が、昭和13年(1938)に西河岸地蔵堂(昭和25年から「日本橋西河岸地蔵寺教会」)へ奉納したものです。縦72.5センチメートル・横47.2センチメートルの桐板で、額面向って右上に「奉納」の墨書、中央には清新な色彩による立姿の半玉(見習い中の年少芸妓)、向って左下端に扇の一部が描かれています。
また、額面向って右下には、花柳章太郎が詠んだ句「桃割に 結ひてもらひし 春日かな」の墨書と朱印、向って左下には、小説家・泉鏡花(1873から1939)が詠んだ句「初蝶の まひまひ拝す 御堂かな」の墨書と朱印がみられるほか、本図を描いた日本画家・小村雪岱(1887から1940)の朱印なども確認できます。
当図額が西河岸地蔵堂へ奉納された経緯については、次のような逸話が伝えられています。大正4年(1915)3月、本郷春木町(現在の文京区本郷三丁目)の本郷座(新派劇や革新歌舞伎の劇場)で上演予定であった「日本橋」(大正3年に発表された泉鏡花の小説『日本橋』を脚色・劇化)の配役にあたり、当時まだ駆け出しの俳優であった花柳章太郎は、演目とゆかり深い西河岸地蔵堂へ祈願に訪れたといいます。
その後、切望していたお千世の役に起用され、抜擢に応えて好演した花柳はこれが出世芸となり、新派劇にとっても「日本橋」は当たり狂言として定着することになりました。
そして昭和13年(1938)3月、2回目のお千世役である明治座での「日本橋」上演の折、花柳は小説『日本橋』(千章館刊行)の装幀を手掛けた小村雪岱に、自身が演じたお千世の描画を依頼し、原作者の泉鏡花と自身の自筆と思われる句を図額に書き添え、西河岸地蔵堂へ報謝のために奉納しました。なお、同寺には、花柳が持参した図額の目録も現存しており、記載内容から奉納の経緯を知ることができます。
明治期に繁栄した日本橋花街(現在の八重洲一丁目・日本橋二丁目・日本橋三丁目にあたる「檜物町」「数寄屋町」「元大工町」「上槙町」などの町々)を舞台とする「日本橋」には、“春の朧夜の一石橋”や“縁結びの西河岸地蔵尊”など、本区に関係の深い場所がストーリーの中心をなしています。花柳界に生きる対照的な性格の2人の日本橋芸者(稲葉家のお孝・瀧の家の清葉)と若い医学士の葛木晋三、そして稲葉家の可憐な雛妓(半玉)お千世がからむ波瀾に満ちた恋物語が、区内を舞台に展開されていきます。
新派の名狂言「日本橋」にゆかりある人々によって制作・奉納された当図額は、日本の演劇史のみならず地域史的な資料としても貴重な文化財といえます。

板絵着色お千世の図額
板絵着色お千世の図額

中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

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