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区のおしらせ 中央
平成24年5月21日号

区内文化財

白魚献上箱

区民有形文化財 歴史資料 明石町12番1号 郷土天文館
佃地区には、江戸時代に将軍・幕府への御菜魚(将軍の御膳に供する魚介類)である「白魚」を上納する際に用いられた御用箱が伝来しています。
江戸時代初期、卓越した漁業技術をもって江戸へと下った摂津国西成郡佃村・大和田村の漁師たちは、幕府(家康)から下付されたといわれる「御免書」(「江戸近辺之於海川網懸ケ候事不可有相違候」という広域的な漁業の権利証文)を引き合いに、江戸湾における優先的な漁業を行っていました。後に佃島を築いた漁師たち(正保元年(1644)に築島)は、賦課として御本丸御膳御菜や御成先御網御用などを勤めることで、こうした漁業上の特権を有することが認められていました。
白魚とは、サケ目シラウオ科に分類される体長約10センチメートル・無色半透明の硬骨魚で、かつては淡水の混じる江戸内湾域に数多く生息していました。家康の好物だったともいわれ、透き通って見える白魚の脳の形が三葉葵(徳川家の家紋)に見立てられたりと、大変珍重されました。
佃島漁師による御膳白魚漁は、白魚の生態に則して、産卵のために河口をさかのぼる春先のシーズン(毎年11月から翌年3月まで)に行われていました。漁法は、通常用いる四つ手網(十字に組んだ竹で張り上げた方形の浅い袋状の網)とは異なり、御膳白魚漁に限って建網(水中に袖網を敷設し、魚群を袋網に導く定置網)で捕獲されました。
なお、佃島漁師の漁場は、中川・江戸川河口付近(後に千住大橋から上流の豊島村までの間)と定められ、これとは別に、浅草川から江戸湾周辺に漁場をもって御膳白魚漁を行う小網町の白魚役漁師も存在しました。このため、御用漁をはじめとする漁場紛争がたびたび起こりましたが、家康のお墨付と称される「御免書」を理由に、佃島漁師は常に有利な立場に立ち得ました。
佃島漁師が白魚献上に用いた御用箱は、「御膳 白魚箱」「佃嶋」の金泥銘がある朱漆塗りの内箱を、「御本丸」「御膳 御用」の朱漆銘がある黒漆塗りの挟箱に納める構造になっており、挟箱上部には担ぎ棒を通す鐶(環状の金具)が取り付けられています。
佃島では白魚二十一尾(幕末からは二十尾)を一樗蒲(賽の目の数の和)と数えたといわれ、上納時には1回に約一升分(シーズン中の5ヶ月間で八斗八升を上納)の白魚が内箱に納められて江戸城へと運ばれたものと思われます。


白魚献上箱

中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

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