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区のおしらせ 中央
平成24年1月21日号

区内文化財

小網神社社殿及び神楽殿 附 棟札・造営関係資料

区民有形文化財 建造物日本橋小網町16番23号 小網神社
日本橋小網町に鎮座する小網神社は、毎年5月の大祭や11月の奇祭「どぶろく祭」(新穀収穫に感謝する新嘗祭で、神前に供えたどぶろくを参拝者に振る舞う行事)、新春の「日本橋七福神めぐり」などでも有名な神社で、古くから町の氏神として信仰を集めています。
当神社の由緒は、明治12年(1879)作成の『神社明細帳』によると、文正元年(1466)に稲荷大神を勧請して稲荷社を造営したことに端を発し、太田道灌が寄進した土地に寺院を建立して小網山稲荷院万福寺と名付けたとされています。万福寺を別当寺(神社に付属して建立された神宮寺)とする稲荷社は、数度の移転・変遷を経た後、明治元年(1868)に発布された神仏分離令によって寺院と分離し、明治6年に小網町の村社「小網稲荷神社」に指定され、同9年に現在地を社地と定めて今日に至っています。
境内の社殿・神楽殿は、当神社にある棟札(棟上げの際に、年月日・願主・工匠名などを記して棟木に打ち付けた札)によると、関東大震災後の昭和3年(1928)12月18日に再建造営の上棟祭が行われたことが記されており、棟梁には、大正期に明治神宮を造営した内藤駒三郎の名もみられます。
社殿は、間口2間(約3.6メートル)・奥行4間(約7.2メートル)の木造平屋建銅板葺で、拝殿・弊殿・本殿がつながる権現造です。特に、参拝者が拝礼する「拝殿」の向拝(屋根を前に張り出した部分)には、さまざまな絵様・繰形(虹梁・木鼻などに彫られた装飾文様や曲線文様)の装飾彫刻が施されています。
向拝の細部に目を凝らしますと、正面の懸魚(屋根の破風板に付ける飾り板)に霊鳥「鳳凰」、虹梁(虹のようにやや反りを持たせた化粧梁)上部の欄間に霊獣「飛龍」、左右の向拝柱にある木鼻(柱の外側に突き出した部分の彫刻)には霊獣「唐獅子」と「獏」、向かって右の羽目板には美濃国(現在の岐阜県)の孝子・源丞内が酒の泉を発見する伝説を彫り込んだ「養老乃瀧図」など、随所に優れた宮彫りを見ることができます。
圧巻なのは、海老虹梁(海老のように弓形に曲がっている虹梁)に施された一対の「昇り龍」「降り龍」で、躍動感のある華麗な宮彫りの技法に目を奪われることでしょう。
また、境内東側にある木造2階建銅板葺の神楽殿は、境内地の形状に合わせて設計・造営されたため、五角形という特殊な平面構造となっています。この構造は、神楽殿の屋根部分にもその特徴が良く見て取れます。神楽殿の屋根は、伝統的な屋根形式の1つである入母屋造(上部は棟を境に二方向にふきおろした切妻屋根、下部は四方向に勾配をもつ寄棟屋根の形)を基本としていますが、切妻屋根の下部は、五方向へと流れる屋根になっており、通常みられる四方へ傾斜する形式とは大きく異なっていることがわかります。
なお、造営当初の神楽殿は平屋でしたが、後年に新設した倉庫の上に既存の神楽殿を移設して現在のような2階建構造になりました。
小網神社には、昭和期の再建造営に関する設計図面類も保存されており、区内に現存する数少ない戦前の木造神社建築(社殿・神楽殿)とともに貴重な文化財となっています。

小網神社社殿及び神楽殿
小網神社社殿及び神楽殿

中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

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