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区のおしらせ 中央
平成23年11月21日号

区内文化財

十返舎一九墓

区民史跡 勝どき四丁目12番9号 東陽院
日蓮宗寺院・真圓山東陽院は、江戸時代後期の戯作者・十返舎一九(1765から1831)の墓所です。東陽院を訪れると、門前に立つ徳川夢声の筆による「十返舎一九墓所」の石碑が目に留まりますが、墓塔は本堂裏手にある屋内墓地の一角にあります。
十返舎一九といえば、神田八丁堀の裏長屋に住む栃面屋弥次郎兵衛と旅役者あがりの喜多八の二人連れが、江戸から東海道を上って伊勢参宮を果たし、京都・大坂にいたる珍道中を描いた滑稽本の作者として広く知られています。
一九は、本名を重田貞一(幼名は市九)といい、明和2年(1765)に駿河国(現在の静岡県)府中の下級武士(父は奉行所同心)の子として生まれました。当初は、大坂町奉行・小田切土佐守の配下として仕えましたが、後に武家奉公を致仕し、浄瑠璃・歌舞伎脚本作者の近松門左衛門の門下に入りました。
最初の戯作は、寛政元年(1789)に大坂で上演の浄瑠璃『木下蔭狭間合戦』で、この時は近松余七の名で合作者として加わりました。その後、江戸に出て戯作者・山東京伝のもとで黄表紙の挿絵を描き、さらには日本橋通油町(現在の日本橋大伝馬町)の書肆(書物の出版兼本屋)・蔦屋重三郎の食客となり、黄表紙・滑稽本・洒落本・合巻・人情本・咄本など数多くの著作を世に出しました。なかでも、享和2年(1802)から刊行が始まった膝栗毛シリーズ(『東海道中膝栗毛』『続膝栗毛』)は、面白みのあるストーリーと旅行案内記としての要素も相まって好評を博し、21年間に正・続合わせて43冊も刊行されました。
天保2年(1831)に67歳で没した一九は、浅草永住町(現在の台東区元浅草)の東陽院に葬られました。その後、関東大震災で被災した東陽院は、昭和2年(1927)に現在地へ本堂を建立、同5年に鉄筋コンクリート造の屋内墓地が完成し、重田家(一九とその妻子)の墓塔もこの時に移設されました。
墓塔には、正面向かって右から二番目に一九の戒名「心月院一九日光信士」が刻まれ、台石中央には一九が用いた印形(熊手と(貞)の組合せ)が施されています。また、向かって左側面には「此の世をは とりやお暇に線香の 煙とともに灰さようなら」と一九らしい歯切れの良いしゃれが利いた辞世の句も刻まれています。

十返舎一九墓
十返舎一九墓

中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

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