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区のおしらせ 中央
平成23年7月21日号

区内文化財

アメリカ公使館跡の記念碑

区民有形文化財 歴史資料明石町8・10番聖路加国際病院
明石町にある聖路加国際病院の敷地には、明治期にアメリカ公使館が存在していた場所であることを物語る遺物(石造物)があります。
まずは、日本にアメリカ公使館が設置された経緯を幕末までさかのぼってみましょう。
安政元年(1854)、幕府はアメリカとの間に日米和親条約を締結しました。これが契機となって、日本は鎖国を解き、欧米諸国への開国が進みました。安政5年には、日米修好通商条約(同年にオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも)を締結し、外交使節の江戸駐在や箱館・神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港、江戸・大坂の開市などが定められました。
そして、この条約の翌年から江戸に外国公使が赴任してきました。日本における最初のアメリカ公使館は、安政6年6月、初代駐日公使に就任したタウンゼンド・ハリス(1804から1878)が麻布山善福寺(現在の港区元麻布1-6-21)の庫裏に開設しました。公使館は寺院を間借りする形で設置され、幕府との恒常的な外交交渉が可能になりました。
善福寺のアメリカ公使館は、文久3年(1863)に火災で焼失し、横浜外国人居留地へと移転しましたが、その後、明治元年(1868)に開市した江戸(東京)の築地外国人居留地(現在の明石町一帯)に移転してきます。
築地外国人居留地には、明治7年(1874)に移転し、明治23年(1890)まで約16年間設置されていました。公使館は、居留地一・二・二十一・二十二番(現在の明石町八番)にあり、クリーム色のペンキが塗られた木造2階建てのオシャレな洋館だったようです。
最終的には、溜池榎坂町(現在のアメリカ大使館がある港区赤坂1-10-5)に再移転しますが、明石町には築地外国人居留地にあった頃の公使館建物の遺物(アメリカの国鳥である白頭鷲・盾形の星条旗・五稜の星などの石造彫刻)が残され、現在は記念碑として保存されています。
記念碑は、開設当初に公使館があった隅田川畔の聖路加ガーデン(明石町八番)に2基、聖路加国際病院トイスラー記念館(明石町十番)前に3基あり、外国人居留地の時代をしのばせる貴重な歴史資料となっています。

アメリカ公使館跡の記念碑
アメリカ公使館跡の記念碑

中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

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