中央区ホームページ
広報紙「区のおしらせ 中央」へ戻る  この号の目次へ戻る

本文ここから
区のおしらせ 中央
平成23年5月21日号

区内文化財

南高橋

区民有形文化財 建造物新川二丁目〜湊一丁目
南高橋は、新川地区と湊地区の間を流れる亀島川に架けられた橋です。架橋位置は、亀島川と隅田川がちょうど合流する地点になります。橋の構造は、橋長63.1メートル、幅員11.0メートルの鋼鉄トラス(三角形を基本とした骨組構造)橋です。
南高橋は、江戸や明治の頃からあった橋ではなく、大正12年(1923)の関東大震災の後に行われた帝都復興事業(土地の区画整理や街路・橋の工事など)によって新たに架橋された橋でした。
実はこの橋、当初の復興事業には架橋予定はなく、その後の事業変更によって建設することが決定しました。そのため、区内の復興橋梁(震災後に架橋された橋)のほとんどが昭和4年(1929)頃までに完成していますが、南高橋の場合は着工が昭和6年、竣工が昭和7年とやや遅れています。
さらに、工事費を予算の枠内に収める必要から、復興橋梁として架け替える旧両国橋の一部を再利用するという、実にエコノミーな橋でもありました。
旧両国橋は、明治37年(1904)に三連のトラス橋として架けられた特徴的な橋で、南高橋の部材に利用したのは旧両国橋の中央径間部分です。なお、南高橋に転用する際には部分補強していますが、現在まで大きな改修工事もなく、竣工当時の状態を良く保っています。
都内に残る明治期の鋼鉄トラス橋には、明治11年(1878)架橋の旧弾正橋(現在は江東区白河に移設され「八幡橋」と改称:重要文化財)などがありますが、南高橋のように、明治期の鋼鉄トラス橋を用いた現役の道路橋である橋は、全国的にみても希少であり、近代の土木遺産として貴重な文化財です。

南高橋
南高橋

陶製住吉神社扁額

区民有形文化財 工芸品佃一丁目1番14号 住吉神社
前回、このコーナーで紹介しました住吉神社の境内には、もう一つ貴重な文化財があります。住吉神社参道入り口にある石造鳥居の額束(神社名を記した額を設置する鳥居の上部中央)に掲げられている「陶製住吉神社扁額」です。
神社には、社号(〜神宮・〜神社など)を記した扁額が鳥居上部に掲げられていたり、あるいは寺院では、寺の山号(〜山など)を記した扁額が山門や本堂に掲げられています。
住吉神社の鳥居上部にある扁額は、縦109センチメートル、横97センチメートル、厚さ5センチメートルの比較的大きな扁額です。通常、神社などでみられる扁額はその多くが木製ですが、住吉神社の扁額は陶製の非常に珍しいものです。
この扁額の細部を見ますと、額面には白地に呉須(陶器などの染付に用いる藍色顔料)で「明治十五壬午歳六月三十日住吉神社一品幟仁親王」と力強く品格のある書がみられます。また、額縁部分には雲の文様が施されており、縁の上下には住吉神社の神紋である鷺の姿も描かれているなど、非常に手の込んだ扁額といえるでしょう。
なお、この扁額に揮毫(毛筆で文字などを書くこと)した一品(親王の位階の第一位)幟仁親王(1812〜1886)とは、歌学や書道をよくした有栖川宮の第八世で、明治期には神祇事務総長や神道教導総裁などの要職を歴任した人物です。
著作として残されている『幟仁親王日記』によると、明治15年(1882)3月に同親王が住吉神社の扁額に揮毫したことや、同年5月には住吉神社へ参詣していることなどが記されています。
また、同日記には「佃島住吉神官平岡 花盛額面内願、陶器而出来候趣也、承知、昨日相濟、陶器ヤ島田宗兵衛ヨリ掛軸一枚ヌメ地内願之通」などの記述もみられることから、陶器問屋の島田宗兵衛なる人物を通して同社の扁額を制作したことが読み取れます。
信仰の篤い陶器問屋が寄進した陶製の珍しい住吉神社扁額は、商業史・工芸史の点からも貴重な文化財といえます。

陶製住吉神社扁額
陶製住吉神社扁額

中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

本文ここまで

以下 奥付けです。

Copyright (c) Chuo City. All rights reserved.