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区のおしらせ 中央
平成23年4月21日号

区内文化財

今号から区民文化財を中心に紹介する新たな連載がスタートしました。どうぞよろしくお願いします。 区内の文化財をチョッと知るだけで、いつもと違うまちの魅力を発見できるかもしれません。

住吉神社水盤舎

区民有形文化財 建造物 佃一丁目1番14号 住吉神社
住吉神社は、江戸時代に創建された歴史ある神社です。その起源は、正保3年(1646)に摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区)の漁師たちと神職平岡権大夫好次が分神霊を奉戴し、現社地に住吉三神・神功皇后・徳川家康の神霊を奉遷祭祀したことに始まります。現在では、月島地域の産土神(氏神)として広く信仰されています。
神社には社殿や参道の脇に参拝者が手や口をすすぎ清めるための水盤舎・手水舎などと呼ばれる建物がありますが、住吉神社にも境内の参道脇に水盤舎があります。住吉神社の水盤舎は、明治2年(1869)に再建した現在の社殿と同時期に建てられ、その後、明治44年(1911)に改築されています。構造は、棟を境にして本を開いて伏せたような形式の切妻造で、中心には四方転びの柱に囲まれるように石造の水盤が置かれています。
水盤舎の細部に目を凝らすと、欅材を用いた欄間や木鼻に見事な浮き彫り彫刻が施されていることに気付きます。四方に見られる欄間彫刻の表面には、石川島の灯台を背景にした佃の渡し風景・帆をはった二艘の廻船・網を打つ小舟・磯辺の風景を題材とした彫刻、内側にも、潮干狩りの風景などの彫刻が施されています。さらに、木鼻には躍動感のある唐獅子の彫刻が見られるなど、風情と風格を備えた水盤舎といえるでしょう。
また、参拝者が利用する石造の水盤は、天保12(1841)に江戸の木綿問屋仲間の白子組(越後屋・白木屋・大丸などが所属)が奉納したもので、背面に「天保12年 丑正月 白子組」の刻銘が見られます。
住吉神社境内の水盤舎と水盤は、区内の歴史や文化と関わりの深い文化財です。

住吉神社水盤舎
住吉神社水盤舎

濱野家住宅

区民有形文化財 建造物 築地七丁目10番8号
濱野家住宅は、築地七丁目の裏通りにある木造2階建ての建物です。この建物は、海産物の仲買を営んでいた濱野家の店舗併用住宅として、昭和5年(1930)に建てられたものです。濱野家は、古くから日本橋で仲買をしていましたが、大正12年(1923)の関東大震災で魚市場が日本橋から築地へと移転したことにともなって、昭和初年に当地に移り住んだといいます。
通りから建物の外観を見ると、昭和初期の商家らしい特徴をいくつか目にすることができます。まず、通りに面した1階部分には、三間半(約6.3メートル)の間口いっぱいに全面開放できる入口が設けられています。「かつては家に入ってすぐの広い土間に鰹節を入れた樽が山のように積まれていた」というエピソードも残り、間口を広く使って販売や運搬などの便を図っていたことがわかります。
なお、入口の上部には「人見梁」と呼ばれる長い梁が間口いっぱいに渡され、意匠的な特徴も見られます。
また、軒を支える部分には、1階・2階ともに、柱から突き出した数本の梁の上に桁を乗せた重厚な「出桁造り」の構造が見られます。これらを意識して正面から見ると、梁の木口や桁が整然と並んで美しい景観が保たれていることに気付かれることでしょう。出桁造りは、軒を深くするための構造ですが、特に商家の外観意匠として普及しました。
この他にも、屋根や雨樋部分の意匠に屋号の「近久」・家紋の「土佐柏」・店の商標である「正」の文字を施すなど、細部に至るまで非常に手が込んでいます。
濱野家住宅は、区内に残る伝統的な商家の建物として貴重な文化財です(※内部非公開)。

濱野家住宅
濱野家住宅

中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

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以下 奥付けです。

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