資料室
体験記-戦時下の生活体験-
目次へ戻る
戦時下の生活体験
戦争が終わった時、町が明るくなった

加藤 昌吉(かとう しょうきち)

 戦争当時、私は父を手伝って家業の理髪業をしていました。その頃一緒に生活していたのは両親と妹の4人で、下の弟は兵隊に行き、末の弟は学童疎開でいませんでした。
 昭和18年から軍に徴用され、私は蒲田の石井精密工業鰍ノ通勤するようになりました。そこでは、ダイス・タップ等の切削工具を作る仕事をしました。工場には、女子挺身隊として良家の女中さんや、学徒動員された地元の女学校の生徒さん等も来ていました。
 通勤ラッシュは現在よりひどく、電車の窓ガラスが割れることもあり、そのあとには板が打ちつけてありました。都電にぶら下がって行ったこともあります。
 半年ほど寮に入りましたが、食堂の雑炊に行列しました。雑炊といっても、しまいの方は泥が入ってザラザラですが、それでも並びました。さつま芋の種芋まで食べたり、砂糖を楊子の先につけてなめた記憶もあります。
 米は1升びんで搗いていました。しかも、配給をもらうには遠くまで行かなければなりませんでした。私はともかく、一家の食糧を探す母が1番困ったろうと思います。
 衣料品は、なくなるという噂があったので買っておいた物がありましたし、つくろって着るのが当たり前だったから何とかなりました。理髪業で使うタオルといっても、坊主頭ばかりでしたからそれほど困りませんでした。石鹸はなくて、ソーダ石鹸を使っていました。

- 1 -

次のページへ

▲ページの先頭へ

お知らせ プライバシーポリシー 利用案内 リンク集
Copyright (c) Chuo City. All rights reserved.