資料室
体験記-戦時下の生活体験-
目次へ戻る
戦時下の生活体験
配給切符だけで生活するのは大変たった

桂田 一郎(かつらだ いちろう)

 私は、昭和19年から20年8月にかけての約2年間は、召集され東部62部隊に所属し、衛生兵として働いていました。したがって終戦を迎えたのは相模原の軍隊病院でした。3月10日の大空襲の時は、相模原からトラックに乗って本所深川方面に出動しました。トラックは赤十字の旗を立てていました。本所辺りに着くと、道にマネキン人形がゴロゴロ転がっていて、その上をトラックは走っていきました。しかし、マネキン人形と見えたのは、実は人間の焼死体でした。
 召集される前の2年間は徴用されて川崎市の池貝鉄工所で舟のエンジンを作る仕事をしていたため、寮生活でした。
 そんなわけで、一般の生活についてはそれほど詳しいとは言えませんが、食べ物は不自由でした。私はパンが好きでしたが、パンやバターはなかなか手に入りませんでした。
 さつま芋も、1本の半分口に入ればおいしかったと感じる有様でしたし、大根の葉っぱや茎の入った雑炊、カラカラに乾燥したトウモロコシを砕いて粉にしたものにメリケン粉などを混ぜて焼いたりしました。
 2食分の食べ物を3食分にして食べる、といった状態でしたが、特殊な物や贅沢な物を求めなければ食べられないと言うほどひどくはなかったように思います。むしろ大変だったのは戦後でしょう。

- 1 -

次のページへ

▲ページの先頭へ

お知らせ プライバシーポリシー 利用案内 リンク集
Copyright (c) Chuo City. All rights reserved.