資料室
体験記-戦時下の生活体験-
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戦時下の生活体験
思い起こす戦争体験記

大山 はる子(おおやま はる子)

 私自身の幼い時の体験から、子供たちを手離して学童疎開に出す決心がつかず、「牛乳が沢山あるよ。こちらへおいで」という親戚からの呼び掛けにつられて縁故疎開に踏み切った。
 こだわった理由は、幼い日、関東大震災にあって避難している時、あの火に追われた恐ろしさ、食糧のないひもじさの時、たまたま乳呑児をかかえたお母さんが、背に負った子供は泣き声も出ず、私どもが身を寄せているだるま船(荷物を運搬する船)に尋ねて来た。「何か赤ん坊にやる食べ物はないでしょうか」とのこと。子供の私たちにはどうにもならず、でも何かあげたい、こんな思いで母にその旨を告げた。
 母は「さあね、玄米のお粥ではね」と言ったが、赤ちゃんの様子を見て、とっさに「水飴があるけど」と、私たちがおやつに割箸に少しずつ巻きつけてもらっていた、あの水飴を思い出してくれた。
 この水飴も、叔父が神田から、あの9月1日の地震後の大火の焼跡(菓子製造工場跡)から流れ出していたものを必死の思いで拾って来てくれたものだった。その水飴でも大きな子供にやるように割箸にはからめられず、「何であげましょうかね」と母。赤ちゃんのお母さんはとっさに自分の着ている浴衣の袖を破って「これにください」と包んで丸めた水飴のかたまりを赤ちゃんの口にふくませた。吸いつく赤ちゃんの顔を必死にながめる親心。私たち子供も、赤ちゃんの口の動きをまねしながら見守った、あの幼い時の思い出。

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