資料室
体験記-戦時下の生活体験-
目次へ戻る
戦時下の生活体験
戦争の思い出

太田 ゑい(おおた えい)

 昭和17年3月、月島第三の高等科を卒業し、十五銀行に入社しました。同時に都立洗心女学校(都立第六高女夜間部)に通いました。
 間もなく十五銀行は、丸の内の第一銀行と合併、帝国銀行と改称されました。
 この年すでに空襲が始まっており、警報が鳴る度に女子社員は、地下の大金庫内に避難いたしました。そこまでは爆音もとどかず、おしゃべりなどで敵機が去るのを待ちました。
 席に戻ると周囲の方々が「爆弾は、あなたの家の方角ではないかと皆で心配していたのですよ」と言われ、すぐ屋上に上がって見ましたら、確かに下町の方角は黒煙に覆われています。然し、落ち着いて見ると、豊洲方面のように思われ、先ずは一安心。
 この日を待つまでもなく、すでに武器のない戦争は始まっていました。
 先ず、食糧がありません。いわゆる買い出しに行くのが当たり前になり、農家はお金だけでは売ってくれません。私共3人姉妹のセーラー服(当然純毛です)を差し出すと機嫌よく売ってくれます。しかし、それはお米ではなく、さつま芋かじゃがいもでした。それを背負って無蓋車の終車に、やっと乗せてもらい、真夜中に有楽町から勝鬨橋、西仲通りと佃まで歩き通しました。
 母は、翌朝の食卓のお芋を指して「お前の身体を食べるようで辛い」と泣いていました。

- 1 -

次のページへ

▲ページの先頭へ

お知らせ プライバシーポリシー 利用案内 リンク集
Copyright (c) Chuo City. All rights reserved.