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体験記-戦時下の生活体験-
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戦時下の生活体験
戦時下に生きて

渡辺 登美(わたなべ とみ)

 私が生まれたのは浜町、育ったのは茅場町、お嫁に行った先が人形町、嫁いでからは、つい先だってまで30年余りの間、蛎殼町で「明石(あかし)」というフグ料理屋をやっておりました。ですから幼い頃からずっとこの界隈に起こったことを見聞きして暮しています。
 私は阪本小学校を卒業しておりますが、ちょうど3年生の時、二・二六事件に遭遇しているんです。当時は今に比べて東京にもよく雪が降りましたが、その日も大雪で、降りしきる雪の中を長靴を履いて、ヨットコ、ヨットコ歩いて行ったのを覚えています。
 学校の前まで来ますと、門のところに守衛さんが立っていて、「ごくろうさん、きょうはこのままおうちへ帰りなさい」と言うんです。「えー、どうして? 雪の中をせっかく来たのに・・・・。おじさん、何かあったの?」「ちょっとね・・・・。あとでラジオで聴くだろうけど、今は何も言えないから、とにかくおうちへ帰って、外に出ないでいるんだよ」
 その時はなにしろ子供のことですから、学校が休みになったということが嬉しくて、とんで帰りました。家に帰ると、母がラジオの前に座って、真剣な顔をしてニュースを聴いていましたが、私には何も教えてくれませんでした。
 何日かたって、近所の家の息子さんが、その事件にかかわっていたとかいうことで、事件の直後、自殺されたと言うことを知りました。残された親御さんがかわいそうだと、みんな涙ぐんでいたのを記憶しています。
 日本橋区が初空襲に遇った時のことは、今でも忘れることはできません。私の実家は日本橋茅場町二丁目7番地にあって、父の姓は真杉といいました。

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