資料室
体験記-戦時下の生活体験-
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戦時下の生活体験
思い出すままに

丸山嘉一郎(まるやま かいちろう)

 銀座通り、明治屋・服部のP.X.には進駐軍等がたむろしている頃でした。私は戦災にて家を焼かれ、京橋際交番に自転車共同作業所の父と住んでいました。横の窓から京橋川に釣り糸を垂れると、ボラの子オボコが釣れました。当時は、交番横の共同便所の排水が川に流れ出ていました。そこに都鳥が集まり、魚もよく釣れました。スズキの子セイゴはさすがに水質の汚れのせいか、京橋区役所のところの三吉橋辺りまでしか上って来なかったようです。昔は川の汚染に関心がなく、川は1間流れれば、その水は飲めるというくらいですから、運河のような都心の川でも流れていれば、魚は当然食べられると思っていたようでした(いや、それほど食糧に困ってなんでも食べた)。
 交番にいた頃の食事は、焼け野原の中ですのでカボチャだけ、馬糧の四角く圧縮した20cm四方で厚さが10cmくらいになっている麦、時々藁が混ざっていた、それを崩してお粥にして食べたのは良い方だった。
 双子の可愛い女の子、青い目をしたGIに声をかけられてチョコレートを1枚ずつこわごわ貰う、いま思うとハーシーの板チョコと思いますが、当時、甘いものなどとても貴重品であったし、我々には昔から飴以上の菓子と知っていたが、その子たちは、1口食べてその苦味に思わず「さつま芋が食いてえ」と甘薯をねだっていた。今のホテル(ホテル西洋銀座)は空地であったと思う。使えない自転車を並べて、それから部品を取って修理していた。

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