資料室
体験記-戦時下の生活体験-
目次へ戻る
戦時下の生活体験
もっとも苦しかったのは戦時下より戦後

関根 カナエ(せきね かなえ)

 私は昭和17年2月に主人を亡くし、町内の人のお世話で、三井倉庫へ19年3月に入社し、昭和42年10月31日まで勤務させていただきました。当時、三井、帝国、住友、渋沢、三菱の五大倉庫が軍の命で日本倉庫統制会社となり、民間の商品を預かることが禁じられ、軍のためだけの倉庫として運営するよう統制が敷かれていたのでした。
 三井倉庫では、初め雑役婦として社員や労務員のお世話をいたしました。その頃、三井倉庫の偉い人に「朝鮮の人を連れて来るので、寝泊まりする場所をお世話してくれないか」と頼まれ、それを家の近くの藤村さんという工務店に話すと、息子さんが戦地へ行っていて夫婦2人きりなので、2つ返事で了解をしてくださることになりました。部屋は4〜5室あったと思います。
 彼らの世話は、倉庫統制会社の帝国倉庫の監督さんと寮母さんが1人いて、朝、晩だけはその方が30人の朝鮮の人にご飯を炊いて食べさせておられたようです。昼は三井倉庫で労務を行い、昼食は三井倉庫で供給いたしておりました。
 三井倉庫ではとにかく大勢の人を食べさせなくてはなりませんので、焼き芋屋さんにあるような大きな釜でご飯を炊きました。男の人が外米を足で踏んでといで炊きますが、いい加減な水加減の割には見事に美味しく炊けていました。おかずは沢庵2切れと三井倉庫に保管してあった缶詰などの食糧を使いました。
 いよいよ危なくなるという昭和19年の後半には、3時になると「今日は居残りは何人!」と言ってくるようになったので、今度は三井倉庫の3升炊きのお釜で5回くらいのご飯の炊き出しをやらせられました。
 そのご飯でおにぎりを作るのですが、その作り方にとても驚かされました。まず、大きな湯呑み茶碗に炊きたてのご飯を入れ、大きな飯台(3〜4台)の上にご飯を並べていくのです。次に少し冷めてきた飯台の上のご飯を、塩を入れた水の中で洗った手で握っていくのです。こういう握り方は私は初めてでした。

- 1 -

次のページへ

▲ページの先頭へ

お知らせ プライバシーポリシー 利用案内 リンク集
Copyright (c) Chuo City. All rights reserved.