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体験記-戦時下の生活体験-
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戦時下の生活体験
非常時

柴田 和子(しばた かずこ)

 昭和6年9月に満州事変が勃発し、昭和7年1月には上海事変が起こった。巷では「満州行進曲」、「爆弾(または肉弾)三勇士」などの軍歌が流行したが、戦争の切実感はなかった。日清・日露戦争と欧州大戦(第一次世界大戦)で日本が勝ったことが大きな自信となり、また勝つだろうと人々は信じていた。「大陸では兵隊さんがお国のため、東洋平和のために戦っていてくれる」と楽観的に考えていた。
 昭和12年7月に支那事変が起きた。第二次世界大戦へとつながる日中戦争の端緒である。この頃から「非常時」、「銃後」という言葉が頻繁に使われるようになり、子供の読む本にも「戦争物」が多くなっていった。
 私の生家である銀座二丁目米田屋ビル内にある米田屋洋服店と柴田羅紗店からも出征兵士がだんだんと出て行った。赤紙の召集令状が来ると、指定の日に指定の場所に行き、軍隊に加わらなければならない。
 働き手が兵隊に取られると、家庭でも職場でも大きな痛手を受けたが、軍人としてお国のために戦うのは名誉な事だったので、近所の人は集まって「万歳、万歳」「おめでとうございます」と祝い、歓呼の声で出征兵士を送り出した。米田屋ビルからもどんどん召集されて、従業員は櫛の歯を引くように減っていった。そして店は風船のしぼむように小さくなって、戦争の渦の中に巻き込まれて行く。

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