資料室
体験記-戦時下の生活体験-
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戦時下の生活体験
戦争くらい悲惨なものはない

池中 正弘(いけなか まさひろ)

 昭和20年5月に、私の家のある月島一丁目は強制疎開させられることになり、両親と兄弟4人の6人家族で、父親の郷里の奈良県に疎開しました。父は村の収入役として迎えられましたし、実家は農家でしたので、23年に元の家に帰って来るまでは、あまり生活には困りませんでした。
 疎開以前にも、家業が食品店でしたからヤミの食糧ならある程度の量は手に入りましたので、それほど不自由ではありませんでした。
 当時、“公定価格”というのがありましたが、有って無きに等しいものであり、ヤミは公定価格の2倍くらいはしましたから、毎日値段が変わりました。それでも、田舎から担ぎ屋が来るので、玉子等も食べていました。
 米は配給だけでは足りませんので、埼玉や千葉に買い出しに行きました。当時の警察は「経済課」というのがあって、ヤミの食糧を取り締まっていました。そのため、3回に1回くらいは駅でつかまり、買ってきたヤミ米は投げて帰る、という状況でした。捕まるといろいろ面倒なので、投げ出してくるわけです。
 しかし、警察も、素人とプロの担ぎ屋は大体区別できるらしく、素人には多少情状酌量してくれることもあったようです。

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