資料室
体験記-空襲体験-
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空襲体験
木挽町から宮城前に逃げる

佐野 英子(さの ひでこ)

昭和20年5月24日夜
 私の生涯にとって、忘れる事のない夜です。その日は5月も末というのに寒い日でした。お定まりの警戒警報から空襲警報にかわり、父と叔父(3月9日の空襲で本郷春木町で焼け出され、私の家に単身同居していた母の弟)は警防団として外に残り、私と母はいつものように前の日進閣という7階建て(?)のアパ―トの地下室に入りました。
 そのうち、いつもと違う大音響がして外が騒がしくなり、不安がつのりはじめましたが、父が来て「焼夷弾が落ちてきたが、皆で消したからもう大丈夫だ」と言ってくれた時には、全身の力が抜けるような気がして、へたへたと座り込んでしまいました。しかし、次の瞬間、叔父が飛んできて「駄目だ、武蔵屋が留守で、3階に落ちた焼夷弾が消せずに焼けてきた。早く逃げないと大変だ。」私たちは無我夢中で地下室から飛び出し、父と叔父は2階からふとん、ラジオなどを運び出し、母は箪笥の下の引き出しを一つだけ抜いて、仏壇からお位牌を入れ、そのまま表に出ました。私は教科書を入れたランドセルと手さげ鞄を持ち、寒かったのでオーバーを着て、ひとまず水谷橋を渡り、京橋のたもと(池田園の前)の空き地に入りました。

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