資料室
体験記-空襲体験-
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空襲体験
横山町で2度も焼かれる

金井 精一(かない せいいち)

 私の家は、昭和20年の2月25日と3月10日の2回、同じ横山町で焼け出されている。私は2月の時はたまたま不在だったが、3月は被災を体験した。
 私の家は「丹波屋」といって、元禄3年(1690年)、現在の所で煙管問屋を創業、以後、時代の変化とともに、パイプやライターなど関連商品も扱うようになったが、ずっと喫煙具製造問屋であった。
 私は昭和18年9月、安田商業学校(旧制)を繰り上げ卒業したが、勤労動員に行っていた関係で、引き続き千葉県下総中山の鈴木精密機器という工場に勤めていた。商業出身なのに、仕事は旋盤工のようなものだった。
 私の家が焼けた昭和20年2月25日は、東京では珍しい大雪が降った日だったが、私は中山の工場に出勤していた。
 午後2時過ぎ頃、「東京の下町が爆弾でやられたらしい。君の家の方らしいから、帰っていい」と会社の人から知らされた。
 すぐ省線(いまのJR)に乗った。ところが電車は両国駅でストップしてしまった。電車を降りた。雪はまだどんどん降っている。気が急いて私は駆けだした。両国橋の上が雪で真っ白になっている。滑って何度転んだことか。

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