資料室
体験記-空襲体験-
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空襲体験
爆撃された泰明国民学校を見舞う

鵜澤 淳(うざわ あつし)

 空襲に明け空襲に暮れる昭和19年の秋は、正に断末魔に喘ぐ日本国民の苦しみの毎日であった。同年9月15日、私は都庁にて国民学校訓導の辞令と中央区立明正小学校(当時京橋区立明正国民学校)勤務辞令を受けた。
 当時の大学、高専の学生はこぞって海軍予備学生、陸軍特別甲種幹部候補生等に志願し将校任官を目指して入隊して行った。しかし、私は親兄弟なく天涯孤独であったので、進んで志願する意志が乏しく、現役兵として応召する日まで無理に軍隊へ行く気がなかった。故に卒業してから少しでも児童の教師として教壇に立ちたかった。
 明正小残留組の児童を担当する先生方は各学年男女合併で1学級ずつであったと思う。口ひげの図工専科、女の先生が2名、30歳過ぎの中堅の先生と私を加えて3名の男の先生が残留していたように記憶する。そして斎藤隆夫校長先生と用務員の中島さんであった。また別の教室に併設の幼稚園もあった。私は5年生の担任を命ぜられ、朝礼の時の全体の指揮や号令をかけたり張り切っていたものである。

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