資料室
体験記-空襲体験-
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空襲体験
私と戦争

石川 浩司(いしかわ こうじ)

 私は昭和3年1月7日、京橋区京橋二丁目(現中央区京橋)に生まれた。
 私の戦争についての記憶は昭和11年2月26日の「二・二六事件」から始まる。
 風を伴った重い雪のための停電、そして翌朝ラジオが何分置きかに繰り返す「銃声の聞こえて来る方角にタンスかふとん等を置いて静かにしていて下さい」というアナウンサーの声が妙に明瞭な記憶となっている。当時小学校3年生になる直前であるから、多分この記憶は間違っていないと思う。
 私の家は商家であったから、住み込みの若い人に連れられて、有楽町から日比谷交差点のあたりまで見物に行った。雪の溶けた水溜りの中に身を伏せて、重機関銃で有楽町駅の改札口を狙っている兵士の姿は、子供心にも何かこれから来る時代の姿を感じさせた強烈な印象であり、その場面は映画のように鮮明に脳裏に刻まれている。
 昭和16年12月、日本軍の真珠湾襲撃の直前に、私の家は目黒に引っ越した。その翌年の4月18日、開戦後初のドウリットル隊による東京空襲では、私の家の真上を超低空で飛び去るB25を見送ったが、その直後多分同じ爆撃隊によって、父の経営する高田馬場の工場が1トン爆弾の直撃を受けた。幸い昼休み中であったため人間の損害は無かったが、工場の倉庫はふっとび、跡に直径十数メートルのすり鉢状の穴が残った。
 中学3年生の私にとって、いよいよ戦争が自分のすぐ目前の事実として認識せざるを得ないものになってきた。そして自分自身が兵士として戦場に、2、3年のうちに確実に行くという実感を持ったのである。

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