資料室
体験記-空襲体験-
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空襲体験
茅場町の理髪店

橋本 正一(はしもと しょういち)

 当時、私は「三宅理髪店」(茅場町2-2-1)で働いていた。親方が昭和18年の春に出征したので、3人の男の職人の中で私はいちばん年少だったが、足が悪くて兵隊に採られる心配がないものだから、店を任せられた格好になっていた。
 空襲でやられたのは、昭和19年11月29日の深夜である。私の住居は店から少ししか離れていなかったので、その夜は、空襲警報のサイレンを聞いてすぐ「三宅理髪店」に駆けつけた。12時少し前くらいで、その30分ばかり前に警戒警報が出ていた。
 店の奥の居間の下が防空壕になっていた。私はまず、親方のおやじさん、おかみさんと住み込みの女職人3人を壕に入れ、そのあとから大事な商売道具の剃刀、鋏、バリカンを持って入った。11月に入ってから、警戒警報や空襲警報がしょっちゅう出ていたが、ほとんど被害らしい被害はなく、なれっこになった感じで、畳の蓋も閉めず、みんなで冗談を言ったりしていた。
 近所の人が来て、「なんでも三越の方が燃えてるらしいよ」と情報を知らせてくれたが、「それなら、かえって、こっちの方は大丈夫だ」なんて、安心したのを覚えている。
 1時間ぐらいたったころ、右隣りの方で、ゴーという物凄い音がして、屋根がパリバリいう音、そしてものが燃えるパチパチという音がした。「爆弾でも落ちたのかな」と思う間もなく、店の窓ガラスを突き破って焼夷弾が2、3本飛び込んできた。そのうちの1本が火を吹きだした。 
 私も若いから元気がよかった。興奮していたからかもしれないが、怖いという気は全然しなかった。
 壕から飛びだしてみると、店の羽目板がメラメラ燃えだしている。火の勢いはたいして強くない。座布団を叩きつけたりして、その火はすぐ消し止めた。
 近所の2、3軒にも焼夷弾が落ちたが、幸いなことにほとんどが不発弾で、2、3本がチョロチョロ燃えだしたぐらいだったので、大事に至らず、みんなで消し止めた。
 この騒ぎで、近所の人たちがみんな外に出た。女の人たちは肩を抱き合って「よかった、よかった」とお互い喜び合った。
 午前3時ごろ空襲警報解除のサイレンが鳴った。おかみさんは「もう今夜は大丈夫だろうから、ハシさん、お前さんの家にお帰りよ」と言ってくれたが、帰る気にならなかった。
畳を元通りにして、そこに布団を敷いてみんなで雑魚寝となった。

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