資料室
体験記-空襲体験-
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空襲体験
隅田川の網船も燃えた

中里 隆介(なかざと りゅうすけ)

 当時、私の家は両国橋西詰、一銭蒸気の乗船場の前、青山渋谷行市電の折り返し終点のまん前で、釣船・網船屋で9代目、すずめ焼・佃煮屋で4代目武蔵屋を名乗っておりました。昭和19年暮れに私は帰休兵として軍隊より両国へ帰って参りました。戦況は日増しに悪くなるばかり、と言って私共には疎開する田舎がありません。61歳の母を抱えて思案をいたしましたが、先ず防空壕を造ろうと、早速私共の船用の桟橋の入口の横に造り始めました。
 昭和20年に入り、たしかこの冬はかなり厳しい寒さでした。そして空襲も激しさを増して、寝る時には上着は着っぱなし、ズボンも靴下もつけたままで、枕元には防空頭巾、鉄帽、ゲートル、貴重品を入れたズックカバンを並べて、真っ暗闇でも警報が出ればすぐにこれらを身につけて飛び出せるように用意しておりました。
 3月9日はよく晴れた寒い日でした。日陰には先月降った雪が黒い塊となってあちこちに残り、露地を渡ってくる風は身を切るような冷たさでした。日中に一度警戒警報が出ていましたが、夕方に解除となり、早く夕食をすませて、少しでも多く寝ておきたい思いで床につきました。
 床について少しまどろんでいると、いつものあの悪魔のうなり声が遠くから夜空いっぱいに響いて来ました。川の端に立って悪魔のうなり声が響いて来る新大橋の方を見ますと、何かちらちらと火がゆれながら降ってきました。『おかしいな』と思いながら見ておりますと、深川の方に突然ぼっと火の手が上がりました。「空襲だ!」私は大声で叫び、報せ廻りました。新大橋の東にあった浅野セメントの工場あたりにも火の付いたものがばらばらと雨のように降って来ました。深川、本所方面にはすでに火の手が上がり、その炎の明かりは飛んで来たB29を照らし出し、B29の窓までもハッキリと見えました。その頃、やっと警戒警報のサインが鳴りました。

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