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体験記-空襲体験-
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空襲体験
防空壕に焼夷弾の直撃

伊神 由吉(いがみ よしきち)

 私は、昭和17年に銀座に移り住んで、自転車の販売と修理業を営んだ。東京への空襲が激しくなってきた昭和19年末からは、家族を田舎に疎開させ、銀座の家には、私と姉の2人だけが残っていた。2階建ての家は、1階が同業者との共同作業所にされ、もっぱら自動車と自転車の修理を行い、2階を住まいにしていた。近所の人や同業者の多くの人たちも兵隊に採られて、男は少なくなっていたが、私自身は中国中部地域での戦いで負傷して帰還し、兵役免除になっていた。
 この辺が戦災にあったのは、昭和20年の5月26日夜から27日の朝方にかけてであった。この日の夜、空襲警報が発令されて、近所の人たちと一緒に、家の前の道路(車道)の下につくっていた防空壕に、いつものように避難した。その防空壕は、入口がよくできていて、戸を閉めると外からの音が入らなかった。外に焼夷弾が落ちてもわからないくらいで、その日もいつものように短い間の避難ぐらいに思っていた。

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