資料室
体験記-空襲体験-
目次へ戻る
空襲体験
出産の翌日、嬰児と防空壕へ

高橋 すみ子(たかはし すみこ)

 私は、昭和20年を妊娠9か月という身重の状態で迎えた。
 19年の末から始まったこの付近一帯への空襲時にも、その身重の体で、長男の手を引き、防空壕への避難を繰り返していた。
 食糧もあまりなく、常に緊張状態におかれていた。今思うと、よくそれまで流産をすることもなく無事でやってこれたと不思議に感じる。
 その当時は、日本中、国を挙げて「産めよ増やせよ!」「子供は国の宝!」などということだから、空襲が毎日繰り返されるという非常事態の状況下でも、「これから生まれて来る子供のためにも、ちゃんと生きなければならない」という気持ちが強かった。
 そして、私は、昭和20年の2月18日夜8時に茅場町の産婆さんのところで、次男を出産した。
 その次の日、19日の昼間、茅場町一帯は焼夷弾と爆弾による空襲に見舞われた。私はまだ、生まれたばかりの次男と2人で、産院で布団に横たわり休んでいた。
 産婆さんの「空襲ですよ! 防空壕に避難しなくちゃ・・・・・・」という声。
 急いで飛び起きた私は、小さな次男をタオルにくるんで、寝巻のまま外へ飛び出し、あわてて防空壕に避難したことを覚えている。
 この空襲では近所が焼けたが、幸い私が世話になっていた産院は助かったので、ここに3日ほどいて、出産して4日後の2月22日の昼過ぎに、我が家に次男を連れて帰って来た。
 その頃、我が家では夫が地域の警防団の役についていたから、産後の妻にかまう暇もなく、警報のサイレンが鳴れば勿論のこと、普段でもほとんど外へ出ていた。
 産後間もないといっても、このような事情では休むことはできず、家の中の仕事はその日から私が細々とやり始めた。

- 1 -

次のページへ

▲ページの先頭へ

お知らせ プライバシーポリシー 利用案内 リンク集
Copyright (c) Chuo City. All rights reserved.