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体験記-空襲体験-
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空襲体験
警備召集で留守の間に焼ける

桜井 仁一郎(さくらい にいちろう)

 私の父は、町名は変わったが、現在の場所で「桜井四宝堂」の屋号で、筆墨硯朱肉の製造問屋を営んでいた。東日本一円の問屋さん、小売屋さんに店員が出張し外交販売をしていたが、戦争で軍納品の需要が多くなるにつれて、陸軍第1師団留守部に筆と朱肉を指名納品するようになり、戦時中も忙しかった。
 (戦線の拡大に伴い、調達役所名も1回から2回に変わり、最後は需品本庁であったと思う)軍納品の原料は特別配給で充分確保できたが、その他の一般取扱品は資材が少なくなり、品切れの続出であった。しかし、戦災で店が焼失するまでは軍納品は続けていた。
 店は2月25日の昼間焼けたが、その時、私は店にいなかった。というのは、その少し前から、私に「白紙召集」がかかっていた。この白紙召集というのは、正式の名称は「警備召集」で、補充兵や予備役軍人を徴用して重要な場所の警備に当たらせていたもので、その徴用命令書が、入営や召集の赤紙と違って白い紙だったので、白紙召集と呼ばれていた。
 空襲の警戒警報が出ると、この召集を受けている者は部隊本部に駆けつけることになっていた。そこで軍服に着替え、歩兵銃と牛旁剣で武装し、4、5人で1班を編成して、区内の重要な施設の警備任務に就く。自分の家からの出動なので、サボッて出てこない者もあり、毎日、顔ぶれが違った。
 私は補充兵だったが、召集されて3年ほど中国で兵隊生活を送って、上等兵になり、前の年に除隊になっていた。

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