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体験記-空襲体験-
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空襲体験
築地で消火活動

坂井 正保(さかい まさやす)

 私は昭和16年から、大谷松竹社長の運転手をしていた。しばらくは、石神井から通っていたが、朝早かったり、夜遅かったりで、間もなく築地に引っ越し、今の松竹本社の裏あたりに住んでいた。
 すぐ地元の築地警防団に入れられ、私は消防部副部長となった。消防部には2台の手押しポンプがあり、1台はモーター付きだった。詰所は2か所で、私は機械いじりができるというので、モーターのある南部詰所を任せられた。空襲警報が出ると、団員はテント張りの詰所に駆けつけることになっていた。私の仕事は、時間が不規則だった。女房が 「夜、お父さんがいないと心配でたまらない」というので、早手まわしに昭和19年の暮れ、子供4人と一緒に北海道に疎開させ、私は1人暮らしとなった。1人で家にいてもしょうがないので、警報が出ると、私はすぐ詰所に駆けつけた。
 昭和20年1月27日の昼も、私は警防団の制服の上に消防刺子を着て、京橋郵便局前の詰所にいた。通行人をビルの地下や防空壕に誘導したりしているうち、日比谷の方で爆発音がし、黒煙が空に立ち昇るのが見えた。
 「今度は本物だ」と思ったのと同時だろうか、米軍の飛行機が低空でこっちにやって来るではないか。
 戦地帰りの弟が「飛行機は怖いよ。アッという間に来るからね。すぐ逃げなければいけないよ」とよく言っていたが、その時は逃げるどころか、その場に立ちすくんでしまった。敵機がパラパラと爆弾を落とし、頭上を通り過ぎて行ったが、本当にアッという間だった。

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