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体験記-空襲体験-
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空襲体験
あの夜の空は美しかった

後藤 種吉(ごとう たねきち)

 もう、あれから45年という長い月日が経っている。3月10日の大空襲のことを聞かれて、まず思い出すのは、あの夜空の情景だ。
 もう地上は一面火の海だった。黒い煙が空に昇って雲になったのか、その雲が赤く染まっていて、その中からB29が出てきた。低空で、すごく大きく見えた。ジュラルミンの機体がキラキラ白く光って、それに赤い炎が反射して、なんともいえず綺麗だった。すさまじいまでの美しさだった。その時、恐怖心もなく、ただ「綺麗だ」と思ったことを覚えている。カメラマンの本能だろうか。
 私はフリー・カメラマンのかたわら、両国でカメラ材料店をやっていたが、戦時統制の企業整備で店を閉めさせられた。紹介してくれる人があって、18年秋ごろから「東方社」というところに勤めた。
 東方社は、陸軍参謀本部が当時のいわゆる大東亜共栄圏向けに発行していた宣伝広報誌『フロント』という雑誌を編集していた。写真に関する一切が私の仕事だった。
 戦局が厳しくなったのを知って、19年の暮れ、家内と子供2人を秩父に疎開させ、私は両国から九段下まで毎日自転車で通った。以前うちの店員だった若い夫婦が一緒に住んで、食事の面倒をみてくれた。
 9日の夜は、たまたま若夫婦が田舎に帰って、私は家にひとりで寝ていたが、警戒警報で起こされた。まだ空襲警報が出ないうち「空襲だ、B29だ」という声がして、外に出た。見ると、両国橋の方から超低空で1機が来た。なにもせず、旋回してどこかへ飛び去った。
 ホッと一息ついたと思う間もなく、今度は大編隊が来た。近所には落ちなかったが、焼夷弾がメロメロと燃えながらあちこちに落ちるのを見た。「今度はやられるな」という気がした。
 私は、大事にしまっておいたフィルム10本ばかりを毛布に包み、僅かな身の回り品と一緒に自転車の荷台にくくりつけた。そうこうしているうちに、近所が燃えだした。しばらくは、火の粉を避けながら、あたりをうろうろしていた。

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