資料室
体験記-空襲体験-
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空襲体験
人形町から宮城前広場へ 3月10日朝の明治座

有田 芳男(ありた よしお)

人形町から宮城前広場へ
 昭和19年11月1日マリアナ諸島サイパン島から発進したB29は東京初偵察を行った。以後再三にわたる空襲警報が東京の空に昼となく夜となく鳴り響くようになった。日本各地にも偵察のB29が高々度で進入したり、九州西部の空襲は中国を基地とするB29が5機、10機と飛来してきた。昭和19年11月29日には東京に初めての夜間空襲があって隣接の小舟町、茅場町、兜町などが被害を受けている。昭和19年12月に入ると空襲が頻繁になり、大森、豊島、江戸川の各地をはじめ浅草、本所、下谷方面の隅田川沿いの町々に焼夷弾爆撃が続いた。
 昭和20年1月、2月になると日本各地の主要都市や軍事施設が攻撃の目標になり、東京の各所でも爆撃の回数が増していった。
 2月9日、10日、25日と東京ではたて続けに大きな空襲があり、特に2月25日の雪の降っていた午後には隣接の町内が大きな被害を受けた。富沢町、久松町、村松町から堀留、大伝馬町、小伝馬町などが無惨な姿に変わっていた。あくる日には大勢の人達が無言で焼け跡の整理をされており、なぜか女性の方が多く立ち働いている姿が印象的であった。この焼跡を見た私は、自分達は家族も無事でそれぞれ各人の生活を果たせてはいるが、明日は我が身かなどと考えて身の引き締まる思いであった。

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