資料室
体験記-学童疎開体験-
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学童疎開体験
疎開生活は、その後の人生を変えた

竹村 桂子(たけむら けいこ)

 私は昭和19年8月末から昭和20年8月一杯まで、旧入間郡吾野村(現 飯能市)にある法光寺に、児童、先生、寮母さんとともにお世話になりました。まるで、それは家族のようで、6年の男子をお兄ちゃんとするならば、3年の男子は弟、そして6年担当の川本先生がお父さんで、3年担当の私がお母さん、更に寮母さんが私のお母さんという家族構成で慣れない田舎での疎開生活が始まりました。
 当時、吾野村は山間の村で、作物が獲れない、米1つ獲れないような村で、村の産業といえば浅野セメント工場があるのと、木工が盛んであったぐらいのところでした。ですから、村の人たちは自分の家で、自分たちが食べる分の作物しか栽培していませんでした。
 しかし、木材は豊富にあったわけで、村長さんのお心遣いで何としても風呂場を建ててやらねばと、バラックでしたけど新しい畳1畳敷の五右衛門風呂脱衣場を作って下さいました。あの当時にすれば贅沢な風呂で、お寺の本堂から廊下づたいに行ける立派なお風呂でした。ですから、毎晩お風呂に入れました。
 また、山峡だけに冬が寒いので、6年生と3年生が寝泊まりする大きな部屋2室に、やはり畳1畳敷の掘り炬燵(コタツ)を作っていただきました。でも、とにかく昼間よく遊ぶので疲れ、勉強よりもよくそこで寝ていました。

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