資料室
体験記-学童疎開体験-
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学童疎開体験
スフの国民服と地下足袋で

Y・S

 私はスフの国民服、地下足袋、防空頭巾という出で立ちで神田須田町の市電の安全地帯に立ち、両親や隣組の方々に万歳で送られて疎開地へ出発しました。昭和19年9月末の朝のことでした。
 阪本国民学校では、遠足にでも行くかのように児童たちが最後のお米で作ったおにぎりや、とっておきのお菓子を持って集合していました。
 私たち教員は3年生女子と4年生男子、6年生女子のおよそ100名の児童を引率して、疎開先の埼玉県足立郡片柳村(現 大宮市)万年寺に向けて出発しました。片柳村は東京駅から省線で大宮まで行き、そこから8kmぐらい入った農村でした。村の人々の歓迎の中、児童たちは嬉々として行進しました。片柳国民学校の校長先生も迎えてくださいました。
 万年寺はとても大きなお寺でした。本堂の前が寝室兼学習室(後に教室も兼ねる)、庫裡が食堂、廊下が職員室という部屋割りで疎開生活が始まりました。
 私は6年生女子24名の担任で、当初、授業は1里離れたところにある片柳国民学校で行いました。片柳国民学校では疎開者が増え、教室が足りない状況にもかかわらず、校長先生のご好意で3部屋提供していただきました。そこに机や椅子を並べ、ちゃんとした教室を作ってくださいました。
 ご好意に感謝して、そこで授業を行ったのですが、何しろ1里もの道を歩いて登校し、また帰るのですから、田舎の生活に慣れていない東京の子は疲れてしまいます。授業も慰問文と家族への便りで精一杯の状況でした。作文や手紙ばかり書かせたので、私の教え子の字は私の字によく似ています。片柳国民学校での授業は1〜2か月で終え、その後はお寺で授業を行うことになりました。お寺では本堂が寝室兼学習室になっていました。仏様がいつも睨んでいらっしゃるようで、そんな中で生活しなければならないためか、小さい児童はいつも怖がっていたようです。

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