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体験記-学童疎開体験-
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学童疎開体験
戦争で1番傷つき、消耗したのは、世界中の母親だった

岡村 正男(おかむら まさお)

 昭和19年の8月末、疎開先吾野の法光寺へ出発の朝、水天宮の都電乗場まで、私はまるで遠足へでも行くかのように、楽しくてしかたがないという気分で勇んで行きました。親は切ない気持ちで一杯だったのかもしれませんが、当の子供たちは友達と一緒に生活ができるという興味で、ワイワイガヤガヤそれは大変な光景だったと思います。
 その前、7月頃だったと思います。私は学校のぶどう棚に悪戯をして、「お前はもう疎開には連れて行かない」と先生に叱られました。私にとって憧れの疎開地へ行けないのはとても辛く、「もうしませんから、連れて行って下さい」と先生に嘆願したのを憶えています。それほど子供心に疎開地へ行くことがパラダイスのように思えたのでしょう。行きたくないと泣きじゃくる子は1人もいませんでした。
 そんなにまで楽しみにしていた疎開生活にもかかわらず、私は疎開先で川に泳ぎに行って中耳炎にかかり、東京の病院でないと駄目だということで、3〜4日くらいの間、東京へ帰らされたのです。その時の東京は私にはとても素晴らしい所に思え、「東京はいいなあ」と思いました。多分それは、東京での生活は疎開地のように、朝から晩まで規制されることがなかったからなのでしょう。

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