資料室
体験記-学童疎開体験-
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学童疎開体験
人間、孤立していてはだめ

伊藤 謙徳(いとう かねのり)

 久松国民学校は全部で7つの寺院へ集団疎開しました。それらのお寺は東北本線と高崎線の大宮寄りの各駅周辺にありました。寺院は埼玉県北足立郡加納村(現 桶川市)の医王院、本学院、光照寺、桶川町の知足院、伊奈村(現 伊奈町)の法光寺、北本宿町(現北本市)の寿命院、多門寺で、私の寮は法光寺で、6年生男子52名を預かって、女性の訓導の根本先生、寮母さんの二宮さん、食事や買い出しなどの世話をしていただいた笠原さんと青木さん、藤野さんの計6名でした。
 疎開児童52名という数は久松国民学校において最大の大所帯。それだけに食糧には苦労しました。食費は公費から出ますが、何と言っても食べ盛りの6年生の男の子を預かって、1人当りの食費は4年生の子と同じでは足りません。私の俸給が蓮田の埼玉銀行に振り込まれるのですが、埼玉銀行の支店長だけが察知しました。「先生、ご家族に送金しないんですか」と聞かれました。
 私の家族は、当時、千葉の実家に預けていましたが、どうしてそのようなことを聞くのかと支店長に尋ねますと、「他の先生は俸給から家族へ送金するのに、先生は1回も送らない。しかも、少しずつ下ろしに来る。結局学寮に使っているんじやないですか」と言われました。公費だけでは子供のお腹を満たすことはできません。自分の俸給を全部つぎこんでも、それでも足りませんでした。
 それでも経費の面では恵まれた点がありました。伊奈村に野菜の出荷組合があり、疎開地へ行くや否や、村の助役さんの助言でそこの組合長へ「子供たちの野菜だけでも何とか回してもらえないでしょうか」とお願いに行きました。組合長さんがいい方で、快く了解してくれました。だから野菜は割合に出荷値段で、まとめて買うことができました。時には他の学寮にも分けられました。

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