資料室
体験記-学童疎開体験-
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学童疎開体験
疎開先の牛乳

渡辺 正(わたなべ ただし)

 昭和19年、私たち教師は学童を空襲の危険から守るために学童集団疎開の準備にあたっていました。区から疎開先地域の指定を受け、当時の泰明国民学校校長久保田亀蔵先生とともに現地視察を行なったのです。道路状況、医務関係、居住性、水の問題など受入れの準備状況を、当事者として久保田校長が下見をされるというので、私も同行しました。当時のバスはガソリンがないため、後部で薪を焚いて走っていました。私たちはそれに乗って、受入先の村に到着しました。村は清らかであるけれども銃後の村の寂しさが感じられたのが印象的でした。
 私たちが視察したのは現在の深谷市、旧大里郡新会村、八基村の2か村で、新会村は成塚、高島等、八基村は手計等を見回りました。
 その後、区からの指示で村長さんたちが動いてくれて、疎開学寮に便所や炊事場等が作られていきました。「総力戦」「一億一心」の時代で、特に学童疎開は国策ということもあり、熱心に協力してくれました。
 最初の下見のあと、さらに私は受入先の寺院の便所や洗面所の改造状況、水の流れ、かまどの様子、学童たちの荷物の収納場所の設置状況等を検分するため、再度村へ足を運びました。
 このようにして児童の受入体制が整い、泰明国民学校は新会村の東雲寺、大林寺、正伝院、宝蔵寺、社務所、八基村の妙光寺にお世話になることになりました。私は6年生と4年生の男子の一部28人に付き添って宝蔵寺に行き、そこで忘れられない疎開生活が始まったのは昭和19年8月末のことでした。

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