資料室
体験記-学童疎開体験-
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学童疎開体験
シラミ取りの時間

丸山 毅(まるやま たけし)

 私は、昭和19年4月に佃島国民学校から月島第一国民学校へ移りました。5年生の時で、何人かの児童が一緒だったと思います。
 学童集団疎開へ行ったのは同年7月で、長瀞の大正亭という旅館でしたが、昭和20年3月には秩父の公民道場に移りました。月島第一国民学校の児童は15〜16名ではなかったかと思いますが、日本橋区と京橋区の10校くらいから児童が集まっていて、全部で100名くらいいたのではないかと記憶しています。
 授業は2学年ずつの複式で、教育勅語とか歴代の天皇の名前をただ暗記させられるだけで、体育、音楽、図工等はありませんでした。先生は、男性3人、女性2〜3人でしたが、月島第一国民学校の先生はその中に含まれていませんでした。
 朝晩は、皇居に向かって遥拝し、文句は忘れましたが何か挨拶していました。軍国少年として教育されたわけですから、私は国民学校を終わったら陸軍幼年学校へ進もうと思っていましたし、大部分の友達もそう思っていました。
 辛かったことと言えば、上級生や他校の上級生にいじめられたこと、いつも空腹だったことです。
 いじめや暴力はありませんでしたが、私は身体が小さかったので「チビ」とからかわれました。何しろ、学年による序列は、当時、絶対でした。私自身も6年生になってからは番長みたいになりました。
 弟が4年生で一緒に疎開していたのですが、その友達から親の持ってきてくれたかりんとうをもらったことがあります。「くれ」と言った覚えは全くないのですが、何しろ珍しくて夢中で食べました。

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