映像ライブラリー
語り継ぐ戦争の記憶「体験者の声」
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タイトル 3度の空襲をくぐり抜けて 名前 細谷 進次

1月27日 銀座空襲
 
あの昼間のですね、都心の爆弾ならびに焼夷弾、今後の中間爆撃、それが最初の経験だと思います。親父がちょっと体調崩しまして、親父の代わりに集会へ行ってくれないかということで、三原橋の銀座4のですね、5階建ての古いビルがございまして、そこが集合場所でございまして。その時にB29の編隊がですね、キラキラ輝いてですね、綺麗だなというような気持ちはあったんですが、流れてきました爆弾が落ちてきて、それを目の前で見てしまったと。目測で直線距離でですね、100mぐらいじゃないだろうかと思うんです。とにかく爆弾が落ちてくるのが見えたと、それでざっとうのごとく下に降りてきてですね、すぐ何も見ずにですね防空壕に入りまして。それからちょっとしてから、怖いもの見たさで上がってきましたら、ちょうどその銀座4丁目に落ちた爆弾のせいだろうと思うんですが、黒い黒煙ですね、あの這い回るようにですね、火が伝わってまいりまして、その黒煙の間と間から、大学生が座布団帽子かぶって、歩きながら出てきたと。こういったのが今でも目に焼き付いている。

3月10日 東京大空襲
 
寝てて突然、空襲警報が発令されました。予測も全然してませんでした。その時はもう落ちてました。焼夷弾か何かが。慌てて防空壕に入りました。4人、5人ですか、それが防空壕に入ってたと。あのまどろく暇もなくですね、明け方になってしまったと、ただうちの銀座の方はですね、幸いにして焼夷弾も何も落ちてなかったと、ようするに燃えなかったですから。

5月25日 空襲
 
もう再三の爆撃がございましたので、あの慣れといいますか、多少慣れということで、合間をみてですね、防空壕から回りの状況はどうだと。一番、印象に残っているのがですね、家は歌舞伎座の裏でございますので、歌舞伎座が燃えだしたのがですね、かなり遅い、空襲が始まってから、かなりの時間が経ってた思いますが、屋根の上に焼夷弾が落ちてきてボウボウ燃えてるという状況をつぶさに見ておりまして、そばにいた若い子(娘)が綺麗だなと言ったら、大人の人たちがですね、何を言うんだということでですね、怒鳴りつけられたと。そういう記憶がございます。
 それで類焼ということはですね、考えてもいなかったと思います。まずはちょっと距離がありますからね。歌舞伎座が4丁目外れでございますから、うちの方が2丁目でございます。ですから距離感がありますので。家が焼けたのがですね、もう夜が白々と明けまして、最後に焼けました。まあ、時間でいったら、10時頃か、その前ぐらいですか。その当時、酒屋というのはですね、長い台がですね、ありまして、それが一つの、その当時の酒屋の形態でございます。そこの台の下にですね、あの味噌だとか、そういったのが味噌樽ですね、その当時量り売りでございましたから、味噌樽やなんかが並んでたと、塩もあったと。その台をですね、親父が一生懸命になってですね、水の売り場からですね、台を通りの真ん中へ出して、まあそれだけは、かろうじで助かったと。
 終戦の詔書を聞いてですね、母の一言がですね、今日はこれから安心して寝られると、それが本当にその当時のですね、女の人の気持ちだったんじゃないのだろうかと。

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