映像ライブラリー
語り継ぐ戦争の記憶「体験者の声」
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タイトル 中学1年生の見た焼け跡 名前 渡辺 浩志

3月10日 東京大空襲
 
まわりの騒がしさというんですか、それから、あれだけ焼けたわけですから明るさ、それにやっぱり目が覚めて、あれよあれよというようななかで、ただ焼けていく町並みの姿だとか、飛来して飛び去る飛行機を茫然と見上げていた。家は1丁目だったものですから焼けないですみました。なおかつ、3月10日は期末試験の最終日だったもんですから、試験に間に合わない、試験の時間に間に合わないといけないと思いまして、家にある自転車を引き出しまして、永代橋を渡って自転車で行きました。門前仲町を右折しまして、月島の方へ向かいますと黒船橋という橋が当時ありまして、そこを越えた瞬間に歩道に防空壕というものが掘られてあったんですよ。防空壕の周辺の家屋がみんな焼けましたんで、たぶん、その影響で窒息なされた方が防空壕の中から半身乗り出したりする状態で、まあ防空壕という防空壕ほとんどでしたね。衣類は一人の方も着てる状態で亡くなられている人はいませんでしたね。みんな裸の状態で、まさにマネキンが転がっているような状況で。
 当時、入学したのは19年、250名が1年生として入学したんですけど、再開したときは多分50名たらずだったと思います。授業はまったくない状態で、当時は深川区だったですけどね。深川区にはいわゆる運河がものすごくあったんですよ。小さな船を作る事業所がいっぱいありました。当時、「まるよん」、「まるはち」と言われたベニヤ板づくりの特攻艇っていうんですか、これを、やはり何週間か手伝いみたいなかたちで仕事をして。すぐそばに木場がありまして、木場から丸太、その他材木がものすごく係留されておったと思うんですよ。その下の中にご遺体が随分ありましたよね。なんかの拍子にたぶん浮上してくる。「とびうち」って言って、引っ掛けるあれがありまして、それを係留されてる材木の上に乗っかって引き寄せる仕事を命じられたことがあったんですけど、なかなか子供の手にはやっぱり負えなかったですよね。ただ、橋の上から、そういう状況を見ていた。その後、食糧増産という形で家屋のなかで亡くなられた方の遺体が、やはり泥を掘り返すと出てくることもありましたね。3月10日、戦後65年経って亡くなられた方が、まったくどこへ埋葬されたのか、どうなったのかわからない。悲しいことだと思いますよね。

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