映像ライブラリー
語り継ぐ戦争の記憶「体験者の声」
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タイトル 関東大震災の教訓で生き延びた東京大空襲 名前 瀧澤 文子

 空襲の怖さ、いつ命が無くなるかわからないという怖さは毎日でしたし、何というか、もういつ死んでも良いというか、常々覚悟をしていました。

3月10日 東京大空襲
 
空を見上げれば、B29がどんどんあっちの江東区の方から来るんですね。東京湾の方から来たので。焼夷弾が落ちるのも見ました。このぐらいに見えたものがバッとゆるやかに落ちる。もう何ていうか怖いっていう感覚ないですね、もういざという時は。ただ茫然とこうやって上を見てました。火が目の前まできましたので、母と逃げました。父は家に残って用水桶からバケツに水を汲んで家にかけてたんですね。荷物は防空頭巾をかぶって、母が関東大震災の体験で、そういう災害で逃げる時に荷物は一切持ってはいけないと。すでに火が見えてたので、そういう時には慌てて、みんなのあとについて逃げてはいけないと。よく風向きをみて判断して逃げるようにって、みんなのあとついて行ってはいけないということで。それと災害の時に大きな建物の中に入ってはいけない。
 すごい風、嵐みたいな風が来るんです。その風によって火の熱さが、熱風っていうんですか、それがきますよね。それで、ほとんどの人が目が真っ赤に充血して。火の粉はかぶりましたね。風で飛んできますからね。こうやって火の粉を払うしかないですよね。講堂のなかに入ったんですけど、そんな東華学校の中は沢山ではなかったですね。もう家は焼けてると思って。恐ろしいというか、何も考えられなくて、ただもう、この風が止まらなければ焼けるという覚悟をしてましたので、絶望感というか悲しい気持ちだけでしたね。それで火が止まった。もう大丈夫と言って、朝になってみんなで戻ったんですけど。家の人形町2丁目の通りがあって、その通りで止まって、家まで火が、もう焼けると思ったんですけど、あのガラスとか、そういうのはみんな割れました、火で。ですけど焼けなかった。ほっとしたというか、ほっとしてました。父も生きてたし良かったなと思ったんですけど、周りの方もこちら側の人で亡くなった方は無かったんですけど。まあ、隣りもみんな良かったわねって言って、喜んだんですけど。でも本当に戦争はつらいと思いましたね。私たち何も知らない人が戦争のために、こんなに苦労っていうか、何とか生き延びたという感じで、何もその当時希望もないし、やりたいこともできないし、本当にあの戦争は悔しいと思いますね。

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