映像ライブラリー
語り継ぐ戦争の記憶「体験者の声」
平成23年度制作映像 平成22年度制作映像 平成21年度制作映像 平成17年度制作映像
タイトル 少国民としての闘いだった疎開と東京大空襲 名前 清水 晃

 いわゆる、わくわくした、きっきじゃくじゃくというような感じではなくて、それに近いんですけども死相感のほうが、やはり戦争のためなんだ、戦争に勝たなくてはならないんだという一種の死相感ですね。あの子供心にもね、あの「すめらみことの少国民」とか、そういうことを言われて、そのつもりでもいたし、到着の歓迎式の時は疎開っ子の代表挨拶ということで、私がさせて頂いたんですけど、あまりの暑さと初めてみる熊谷ということで先方のことはまるっきり覚えてないですね。東へ約4qの地点に、うっそうとした森の奥に龍淵寺という寺があった。なんとここには男女込みで123名もの子供たちが入ってた。近くの成田国民学校に通学をした。だいたいこういう形で6つの寺を学寮として地元の国民学校に通った。龍淵寺というのは、その地方の修行寺であると、禅宗の禅寺だったんですね。そんなわけで戒律、規律も非常に厳正なんだよ、厳しいんだよということはね、聞いてました。ご住職は見るからに立派なお坊様という感じ、周りが全部田んぼでした。埼玉北部でいわゆる埼北の穀倉地帯というんですかね、あの辺は。まあ、そんなかで生活が始まった。日課が全てびっしりと決められていました。夏は起床が5時半、冬場は6時。
 一教室を与えられてた。だから地元の子供たちと肩を並べる、あるいは机を並べて勉強するということは、ほとんどなかった。体育の授業も一緒というのはまずなくて、ただ相撲大会をやってね、東京が勝っちゃったとかね、そういうのはありますが。寮内でも地元の方々がいわゆる土俵ですね、遊び場が少ないですから、土俵と攀登棒(はんとうぼう)っていうんですか、高い棒を何本か建てていただいてね、あと鉄棒を組んでいただいて、まあそういう遊び、まあ鍛錬と言いますかね、あのそういうものは成田国民学校でやるよりは、どちらかというとお寺でやったと。そういうことでね、何か地元の学校の子供達と交流というのは、まずなかったと。
 疎開での一番の思い出は、男女を問わず龍淵寺の場合は食事につきると思いますよ。翌月の9月の、ここに献立表、いわゆるメニューですよね。どんなに粗食であっても朝昼晩がちゃんと3食出ておったと。麦が混ざる、まだいいほうです。芋、ジャガイモ等の混ざったご飯。ご飯はですね、ほんの茶碗にいわゆる大玉に少し、まさに一汁一菜の粗餐(そさん)であると。見てください、一番下、間食、間の食、おやつです。たとえ一日おきでも、お団子5個、団子って言ったって小っちゃい団子だ。馬鈴薯5本って言ったって、あのジャガイモが5個でているんじゃない。小さく切ったやつが5個ですから、1個も出ない。食べ盛りの子供達です。僕ら全然足らん。来るときは、薬を持ってきた、ビタミン剤とかそういうもの。食べ過ぎちゃった。お菓子代わりに。それで顔が膨らんじゃう子もいた。埼北の穀倉地帯ですから田んぼには落ち穂がいっぱい落ちてる。まあ、これもおそらく寮長が農家にお話しして落穂ひろい。これは自分達で全部食糧の種になるんですから。もうそれこそ一生懸命です。
 冬は誠に厳しかったです。それでなくても、お寺は隙間風が多いですから。暖房器具なんてないですから。布団もろくな布団じゃございません、東京から持ち込んだのは。だから寒さになかなか耐えきれなかったというのは事実だと思いますよね。だからうずくまって寝るというような感じですよね。でも結局、疲れが先ですから空腹を抱えながら寝てました。日課のなかに、どんなに寒かろうが真冬でも、上半身裸で寒風摩擦をやった。これが功を奏して風邪引く子は一人もいなかったというのは、東京の朝日新聞かな、朝日の記事に出たらしい。それで大反響を起こしましてね。境内を何周かするんです、裸でね。おかげで、体を悪くする、体をこわす、風邪を引くという子もまたいなかった、と先生は紹介しておりました。まあ、国が戦争をしているんだ。だから僕らもっていう気はね、本当にあったなあ、残念ながらね。

帰京、そして3月10日東京大空襲
 
八丁堀は直接被害はなかったんですけど、隣接する浅草、そして八丁堀、隅田川すぐそばです。隅田川越えて深川、本所、昔の深川区、本所区。いわゆる下町一帯に襲ったB29。初めて見るB29ですよ。八丁堀で見た。火は風を呼ぶ、風は火を呼ぶって言いますけども、ものすごい火の粉でしたよ、八丁堀は。夜でも明るくて、町場でもはっきり見える。空を見ればね、真っ赤な空に、そして、隅田川の向こうから火の粉がもうあられのように飛んでくるわけですよ。我が家には母親しかいません。まあ、よく出来たなと思うんですが、あの当時の下町の民家には商店もそうですけど、どちらにも用水桶というのがあった。そして、屋根には、あるいは物干しには水を溜めこんだ用水桶がどこの家庭にも置いてあった。まあ、いわゆる防空頭巾ですよね。被って。「ひばたき」と言って、竹竿に荒縄を結びつけた「ひばたき」ってあるんですよ。火をはたくと書いて「ひばたき」。用水桶に身を突っ込んでね、体を濡らすわけですよ、ザブッと。B29を敵にまわして本所、深川から来る火の粉を打ち落としてた。打ち払ってた。本当にね、いまだにその光景を思い浮かべますよね。

一覧へ戻る ムービーに戻る

▲ページの先頭へ

お知らせ プライバシーポリシー 利用案内 リンク集
Copyright (c) Chuo City. All rights reserved.